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作谷の江戸家

 投稿者:山中鹿之助  投稿日:2013年10月13日(日)05時11分55秒
  初めて投稿します。

>江戸山城守は,「小田六騎」に数えられた武将だった。作谷の江戸家はこの地元の武士で、主家の小田氏が滅亡した事で、武士わやめて庶民となったのではないか。遠祖の治義の代に帰農したという。天正18年(1590年)江戸山城守とその子江戸茂太夫が、現在地(作谷)に土着して土豪となったようだ。

これらの傍証を得ました。

【出典】筑波町史 史料集 第十篇 筑波町史編纂委員会 昭和61年3月31日発行
P247, 249, 250
小田一族大系図(東京大学史料編纂所蔵写本)
八田知家 二男 伊志良二郎有知-(七代略)-知房 伊志良次郎四郎 号江戸刑部
母 小田家士 江戸兵部 藤原通経女
知房 父知近之蒙勘気依之 外祖父 通経之方ニ忍テ住シ仮ニ母方之江戸氏ヲ名乗,以後 父之勘気雖被免尚又為江戸氏ト也
(注:雖も…いえ‐ども(いへ‐ども),…というけれども)
-知全 江戸茂太夫 右馬介 初知義 母 小田屋形成治之家士 江戸主税通宗女
小田讃岐守治孝之御時,新治郡後ニ筑波郡之内ニ改ル造谷之地ヲ賜,作谷之館殿内ニ移リ住也
-治善 江戸新藤太 茂太夫 山城守
-治盛 江戸茂太夫

【出典】筑波町史 史料集 第十篇 筑波町史編纂委員会 昭和61年3月31日発行
P307, 308
小田家分流系図(筑波町臼井長戸泰造家蔵本)
八田知家 二男 伊志良系
有知-(十二代略)-知房
-知全 小田讃岐守治孝之御時,新治郡造谷之地ヲ賜,作谷之館殿内ニ移リ住也
後ニ筑波之郡ニ改
-治善 江戸新藤太 茂太夫 山城守 初治義

という訳で,江戸山城守治義=江戸山城守治善で,八田知家を祖とする伊志良氏の末裔であり,小田氏の遠縁と言えます。江戸山城守治善の子の治盛 江戸茂太夫という記述も上記に合致します。
上の文献には,治盛迄の記述しか無いので,以降は帰農したことになると思います。
 
 

外岡様へ

 投稿者:和泉守  投稿日:2013年10月 7日(月)16時09分24秒
  久しぶりの投稿失礼いたします。
2009年6月26日の私の投稿にメールにてお返事を下さいました外岡様へ
この場を借りて御礼とご連絡です。

メールの返信を先程お送り致しましたが、そちらのメールアドレスが
明記されていなかったため単純に返信でお返しいたしました。
もし届いていらっしゃらない様でしたらお使いのアドレスをお知らせ
いただけますと幸いです。

ご連絡頂きまして誠にありがとうございます。
よろしくお願い致します。
 

ありがとうございました

 投稿者:松山の江戸  投稿日:2013年 5月 7日(火)15時18分47秒
  館長様、
お返事が遅くなり恐縮でございます。先ほど、メッセージを頂戴していたことを知りました。
アドバイス賜りまして大変ありがとうございます。資料を確認してみます。
よろしくお願いいたします。
 

いろいろありがとうございます

 投稿者:福岡の谷田部  投稿日:2012年12月 3日(月)12時21分53秒
  お忙しい中、調べて下さり本当にありがとうございました。
なんか遠い親戚が一人増えたような感慨がありますよ。
江戸雅胤の子孫と考えて良さそうな感じがしてきました。
雅胤の子が谷田部道胤でその子が忠胤だったらほぼ確実です。
ですが、4代目が他家からの養子みたいなので、血の繋がりは途切れているようです。
家督を継ぐという重さを考えさせられますね。五代目も女の子ばかりで養子を取っていますが40歳になってやっと男子が生まれ家督はこの子が継いだようです。その安堵の気持ちを一句詠んでいることが由緒に出てきます。面白いですね。
由緒、お送りしますよ。家にあるのはコピー原稿ですが。

梅吉という人は初めて聞きました。たぶん関係ないと思いますが。
また二代目忠久は義苗公が亡くなった後は職を免ぜられる、と書いてあります。
その後に秋田に移住の一説が出てくるんです。
そのうちお送りしますのでお待ちくださいませ。
 

福岡の谷田部さんへ追伸

 投稿者:館長  投稿日:2012年12月 2日(日)08時02分41秒
  「初代忠良の部分には義処公の名前が、二代目忠久の所には義苗公の御用人となると出てきます。」とのことですが。義処公は久保田藩主3代目、義苗公はその子ですが家督を継ぐ前に亡くなったようです。谷田部さんの御先祖は、そのまま順調に考えれば4代目義格公に仕えたのでしょう。私の家の系図には、仕えた主君の名や禄高が殆どか、全くといってよいほどありません。それがあれば楽ですが。ただ、谷田部さんの御先祖の忠良という人は、義処公に仕えたのであれば、秋田に在住していたのではないでしょうか。あるいは江戸で仕えていたのかもしれませんが、でも屋敷とかは拝領していた可能性があるのではないでしょうか。
ところで秋田士族出身では谷田部梅吉という人が高名ですが、あなたの家と関係があるのでしょうか。谷田部梅吉は東京理科大学(当初は東京物理学講習所)の創始に名を連ねていると思います。また、東京大学付属図書館の館長でもあったらしいですね。いかがでしょうか。
追伸で書き込みさせていただきました。
 

福岡の谷田部さんへ

 投稿者:館長  投稿日:2012年11月29日(木)23時52分36秒
編集済
  分かった部分から情報提供します。私がいただいた「斎藤本那珂氏系図」では、江戸通雅の子に雅胤があります。谷田部籐七郎後越後守とあり、谷田部主計宣胤の養子であった、とあります。天文十五年正月二日に卒とあります。法号は慶庵道喜と記しています。いかがでしょうか。
なお、もし差し支えなければ、由緒書のPDFをいただければ、さらにお手伝い可能と思いますし、私自身、興味を持っております。とりあえず、谷田部本が見つかればいいのですが・・・・
 

これがなかなか

 投稿者:福岡の谷田部  投稿日:2012年11月23日(金)17時41分39秒
  由緒を読むのも四苦八苦している有様でして心許無いご返事しかできませんが、初代忠良の部分には義処公の名前が、二代目忠久の所には義苗公の御用人となると出てきます。秋田に移住したのはこの忠久で元禄13年のようです。代々350石前後を頂いていたみたいです。他には何家に仕えたという記述はありませんね。

秋田の五城目町に本家筋のおばあさんが住んでいました。昌洞院山に谷田部家の墓があって
30年ほど前に父と二人で墓掃除に行った事がありますが今はもうその墓も撤収されて秋田には遠い親戚しかいないです。9代目に男子がなく養子も取らなかったみたいで、私は8代目の4男の系譜で12代目の世代。私の父は韓国京城生まれです。父の代から福岡です。

谷田部本、興味津々です。私は全然急いでおりませんのでゆっくりと研究なさって下さいませ。
 

福岡の谷田部さんへ

 投稿者:館長  投稿日:2012年11月22日(木)22時05分17秒
   残念ながら谷田部氏に関する研究はこれからです。つまり関心はありましたが、まだ取りかかっていないのが現状です。那珂氏系図に谷田部本なるものがあり、それで関心を持っていた次第です。これから、研究に取り掛かってみますね。ところで福岡は九州ですよね。実家は秋田ということでしょうか? 秋田であれば、秋田のどこが谷田部さんの出身でしょうか。できれば佐竹氏の何家に仕えていたかお分かりでしょうか?  

はじめまして

 投稿者:福岡の谷田部  投稿日:2012年11月21日(水)15時39分16秒
  父の死を契機に、残された谷田部氏由緒を元にいろいろ検索しておりましたらこちらに辿り着きました。どうやら私の先祖は江戸通雅の息子、雅胤のようです。この人は江戸家の家臣であった谷田部家に養子に入ったみたいですね。谷田部雅胤となって、で、その息子が谷田部道胤になるようですが当たってますでしょうか?
手元にある由緒の一番最初に出てくる名前は谷田部忠胤という人で、この人は江戸重通が攻められた戦で戦死したのですが忠胤は道胤の息子だと思うんですがここが資料がない。
何かご存知でしょうか?
戦死した忠胤の幼子は母が再婚した為か、さらにその息子・忠良が谷田部家初代と由緒は伝えています。
そもそもの谷田部は常陸平氏の流れを汲む石川国重というひとで谷田部村に住んでいたので
谷田部国重と名乗ったと、あるサイトに書いてありました。谷田部という地名があるせいであの辺りにはいろいろな系譜の谷田部氏がいて、それも面白いですね。
うちの谷田部はその後佐竹の家臣となり秋田に行っています。

ながながと失礼しました。
 

松山の江戸さんへ

 投稿者:館長  投稿日:2012年11月12日(月)22時00分37秒
   応答が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。まず結論から申し上げると、私とななさんという女性とのやり取りをよく読んでいただけば解ると思いますが、松山と江戸氏の関係は、このやりとりの範囲ではございませんでした。ななさんの御先祖が江戸姓を称した理由は判然としませんが、江戸靱負という人は三戸姓の人ではないかと思います。よって、松山と江戸姓との関係は分かりません。四国の江戸氏は、たしか武蔵江戸氏(秩父氏系の江戸氏で、畠山、豊島、川越、葛西氏などと同族)ではないかと思います。「江戸氏の研究」 (1977年) (関東武士研究叢書〈第1巻))を参考にされたらいかがでしょうか。大きな図書館ならあると思いますよ。それを参考に、江戸氏がいた四国の地名を解明し、その土地の郷土誌を図書館で読まれたら、と思います。  

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