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Re: CITROEN / CROISIERE NOIRE 1924. & C. JAUNE 1931.

 投稿者:enjugroup  投稿日:2014年 2月 9日(日)19時15分3秒
返信・引用
  玄人さんへのお返事です。

> 管理人さま、みなさま、こんばんは。当地では梅雨明けしましたが、いやぁ、大変な暑さですね。前置きはともかく、今回は20世紀の大偉業「黒い巡洋艦隊」「黄色い巡洋艦隊」について取り上げます。誰もがシトロエンは、特別な自動車メーカーと思っていますが、これらの歴史的大偉業が貢献しております。ここに紹介するYoutube動画はクロアチアのテレビジョン放送のようですが、貴重な動画を6本、一挙に紹介します。

玄人さま、貴重な情報ありがとうございました!
わたくし、大昔に牛山純一氏のドキュメンタリー番組でこの大冒険を観たことがありましたが、
また動画で見られるとは嬉しい限りです。
カイバル峠では分解して運んだ?とその番組では言っていたような…?
途中で社長が亡くなったこともその番組で言っておりました。
シトロエンは車高が上下できるというのもその番組で知りました。
それ以来、シトロエンはあこがれの車です。
いや、乗ってはいませんけれども。

https://www.facebook.com/mariko.hihara.5

 
 

DSプロトタイプ31

 投稿者:管理人  投稿日:2012年10月21日(日)08時00分36秒
返信・引用
  シトロエンに所蔵のdsプロトタイプでは31が知られています。
オルネーのコンセルバトワールに所蔵されていて 意外に普通に
置いてあります 動画では車高調整レバーが無いことを 改造と
解説されていますが 最初期はホントに車高レバーはありません
エンジンルーム内にあります。
オルネー工場も再来年には閉鎖がほぼ決定ですが・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=SbT9Id-IQ7o
 

22日(日曜日)

 投稿者:コリ  投稿日:2012年 4月21日(土)19時58分1秒
返信・引用
  管理人 様、みなさま

2cvとDSの春かぜミーティング 2012
明日となりました。
どうぞよろしくお願いいたします!


玄人 様

いつもお気遣い頂きまして、ありがとうございます。
お世話になりました。
 

DS19 ”32”

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 4月13日(金)06時33分9秒
返信・引用
  この 32ですが レイノルズ本に出ている個体です。
現在の南仏 シトロミュゼオムには2003年のオープンから
所蔵されており それ以前は一時はオランダに出ていたそうです。
またこのミュゼオムの所蔵車両は
まるで新車のような 5000キロ程度の走行距離のものも
多いそうです。 ニース在住のHOKさんによれば
”新車の匂いがするんだよ”とのことです
 

DS19 ”32”

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月26日(月)05時53分35秒
返信・引用
  車体番号 32番現存する 最初期のDSは現在、南仏の
シトロミュゼオムに所蔵されているます。
この車は 初期ロットは関係者に供給され
このクルマはミシュラン家に渡されたものだそうです。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 3月17日(土)23時23分59秒
返信・引用
  レギュラーメンバーのみなさま ご苦労さまです
2cvとDSの春かぜミーティング 2012 は わがDSで参加予定です。
 

2cvとDSの春かぜミーティング 2012  のお知らせと、シトロエンの提携

 投稿者:玄人  投稿日:2012年 2月26日(日)11時25分12秒
返信・引用
  管理人さま、みなさま、こんにちは。今回は1960年代後期に行なわれた、シトロエンと他のメーカーとの提携について投稿します。それでは、お知らせです。

(転載開始)

管理人様、DSオーナーのみな様
ご無沙汰しています。
今年もDSさんと2cvくんの同窓会を開催したいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

* 4月22日(日) 10時~16時ごろ

* 会場
富士山麓 朝霧高原 《まかいの牧場》さんの駐車場
(建物の反対側の駐車場です。道路東側)

* 参加費用
大人(中学生以上) 600円 小人(3歳以上) 400円
(牧場の入園券を購入していただきます。
無料開催できなくて残念ですがよろしくお願い致します。)
http://www.makaino.com/index.html
http://maps.google.co.jp/maps?q=35.336125,138.584782
〒418-0104 静岡県富士宮市内野1327
TEL 0544-54-0342


*今回はツーリングもしたいと思っています。ご希望の方は
《道の駅 朝霧高原》
9時20分集合
9時40分出発
約10kmの下り坂です。
http://maps.google.co.jp/maps?q=35.413318,138.591289


春の穏やかな気候の中、
DSさんと2cvくんにかこまれてのんびり過ごしましょう。
みなさま大勢のご参加をお待ちしております。よろしくお願い致します。

※ お食事はなるべく、まかいの牧場さんをご利用ください。

※ 追加事項ありましたら随時案内させていただきます。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
東名高速富士I.C→西富士道路→富士宮バイパス→約30分
中央高速河口湖I.C→R139→約40分
中央高速甲府南I.C→精進湖道路→R139→約50分
http://colibri2cv.blog106.fc2.com/

(転載終了)

今回、シトロエンの他メーカーとの提携について投稿するに当たり、戦後の欧州経済の歩みを触れておいた方がよいと考えますので、つまらない話をさせて頂きます。第二次世界大戦で欧州は戦場となり、その復興が課題となりました。しかし戦争による国力の損耗は予想以上に大きく、アメリカの国務長官ジョージ・マーシャルの提唱した欧州復興計画(European Recovery Program 略称ERP)が行なわれることになりました。一般にはマーシャル・プランと呼ばれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB

援助受け入れ側の西欧16ヶ国は、この援助受け入れ機関として欧州経済協力機構 (OEEC) を設置しました。これが西欧の経済再建が完了した1961年、経済協力開発機構(Organization for Economic Cooperation and Development、OECD)に移行します。なぜOECDの本部がパリにあるのか、これでお分かりいただけたと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8D%94%E5%8A%9B%E6%A9%9F%E6%A7%8B
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8D%94%E5%8A%9B%E9%96%8B%E7%99%BA%E6%A9%9F%E6%A7%8B

このマーシャル・プランの援助額は巨額でしたが、アメリカは資金を拠出する代わりに見返りを求めていました。それが為替と貿易の自由化です。アメリカは強いドルを背景に巨大企業が次々と欧州に進出。このままでは欧州の産業はアメリカにやられてしまう。強い危機感を感じた欧州各国政府は、欧州をひとつにまとめてアメリカに対抗しようとしました。しかし、隣国同士で戦火を交えた歴史のある欧州各国は、国民感情も考慮しなければなりませんでした。そこで、経済面から統合を推し進めたのです。

1951年4月18日、ベルギー、フランス、西ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダの6か国が欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を設立しました。この欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が、EEC、ECを経て、今日の欧州連合(EU)に発展していきました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E7%9F%B3%E7%82%AD%E9%89%84%E9%8B%BC%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E6%9D%A1%E7%B4%84_(1951%E5%B9%B4)

欧州石炭鉄鋼共同体は1950年5月9日に、当時のフランス外相ロベール・シューマンが提唱した国際機関で、フランスとドイツの間での戦争を繰り返さないために、戦争で使われる鉄鋼と石炭を共通の管理下におくことにしたのです。

続いて欧州経済共同体(EEC)が1957年に設立されます。これはフランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)との間で経済統合を実現することを目的とする国際機関です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93

当時、ドイツ連邦共和国(通称 西ドイツ)の首相を務めていたコンラート・アデナウアー氏は、1917年から1933年までケルンの市長を務めていました。彼は第一次世界大戦の復興のためシトロエンを誘致し、ドイツ国内の生産工場が建設されました。フォードも同時期にドイツに進出しています。彼はアウトバーン(高速道路)も建設しましたが、独裁者ヒトラーは彼の盗作をしたにも関わらず、自分の功績だと宣伝しました。アデナウアー氏はヒトラーの政敵として逮捕されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%87%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC

彼はシトロエンを誘致したことからも分かるように、フランスと友好関係を深めたいと考えていました。ドゴール将軍が第五共和政初代大統領に就任すると、個人的な友人関係を国家の関係に高めることに成功し、1963年1月22日、仏独協力条約が結ばれました。100年に3回も戦争をした両国は、二度と戦争をしないことを誓ったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E7%8B%AC%E5%8D%94%E5%8A%9B%E6%9D%A1%E7%B4%84
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sculpture_of_Konrad_Adenauer_and_Charles_de_Gaulle_outside_the_Konrad_Adenauer_Stiftung.jpg

この仏独協力条約は、両国の経済、産業面での協力、提携を推進することとなります。フランスは政府の産業界への指導、介入が伝統的に強く、ドゴール時代には特に顕著でした。航空機の分野でボーイング社、マクドネルダグラス社が世界的に圧倒的な力を持つ中、単独での対抗は無理だと判断したフランスは、西ドイツと共同でエアバス社を設立します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%B9

自動車の分野でも、シトロエンが西ドイツのマン社から購入したディーゼルエンジンを350シリーズに搭載したり、ボッシュ社の電子式燃料噴射装置(ボッシュDジェトロニック)をDS21に採用しました。当時のピエール・ベルコ社長はドゴール大統領の友人であり、西ドイツとの産業協力の面から西ドイツ製品の採用を強く促されていたことは、言うまでもありません。
1965年12月に発行された、シトロエン350シリーズのカタログです。
http://www.citronpaper.it/PLdepli/Depliant/196512350F.htm
http://www.citronpaper.it/PLdepli/Cartelle/196512350F/01.jpg
http://www.citronpaper.it/PLdepli/Cartelle/196512350F/06.jpg
http://www.citronpaper.it/PLdepli/Cartelle/196512350F/07.jpg

1969年に発行されたLE DOUBLE CHEVRON n°18です。
http://www.citronpaper.it/Echoes/DC18%20aut69/11.JPG
http://www.citronpaper.it/Echoes/DC18%20aut69/14.JPG
http://www.citronpaper.it/Echoes/DC18%20aut69/16.JPG
http://www.citronpaper.it/Echoes/DC18%20aut69/17.JPG

1968年発行のLE DOUBLE CHEVRON n°12に、マセラティとの提携について声明が掲載されました。
http://www.citronpaper.it/Echoes/DC12%20prin68/36.JPG
http://www.citronpaper.it/Echoes/DC12%20prin68/37.JPG

この提携についてですが、当方はアメリカに対抗する欧州国家間の経済協力の一環として行なわれたと見ています。フランス国内だけでシトロエンSMの開発生産を帰結するのではなく、イタリアも巻き込んで双方の経済発展を図るのだと。飛行機が得意なイギリスと組んでコンコルドを開発したのと同じく、高性能車の得意なイタリアと組んでシトロエンの高性能車を開発させたのでしょう。しかし、これによってシトロエン研究開発部門の夢であったパナールの復活は夢と消えました。

フランス政府の企業に対する指導監督は欧州諸国の中でも厳しいことで定評があり、豪華車を生産していたファセル・ヴェガに対する風当たりは相当なものであったと考えられます。最終的にジャン・ダニノ氏はファセルの生産を諦めざるを得ませんでした。パナールにしても、政府は軍用車に専念させる方針だったのでしょう。政府による指導監督は日本でも顕著であり、本田技研工業の自動車への進出を認めない当時の通商産業省に対し、本田宗一郎社長は自ら乗り込んで抗議したそうです。

次回は42年前のシトロエンSM発表について投稿します。
 

2cvとDSの春かぜミーティング 2012  のお知らせと、コンコルドの話

 投稿者:玄人  投稿日:2012年 2月19日(日)12時06分48秒
返信・引用 編集済
  管理人さま、お帰りなさいませ。いつも投稿させて頂き、ありがとうございます。今回はコンコルド特集です。最初に、お知らせを転載します。

(転載開始)
管理人様、DSオーナーのみな様
ご無沙汰しています。
今年もDSさんと2cvくんの同窓会を開催したいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

* 4月22日(日) 10時~16時ごろ

* 会場
富士山麓 朝霧高原 《まかいの牧場》さんの駐車場
(建物の反対側の駐車場です。道路東側)

* 参加費用
大人(中学生以上) 600円 小人(3歳以上) 400円
(牧場の入園券を購入していただきます。
無料開催できなくて残念ですがよろしくお願い致します。)
http://www.makaino.com/index.html
http://maps.google.co.jp/maps?q=35.336125,138.584782
〒418-0104 静岡県富士宮市内野1327
TEL 0544-54-0342


*今回はツーリングもしたいと思っています。ご希望の方は
《道の駅 朝霧高原》
9時20分集合
9時40分出発
約10kmの下り坂です。
http://maps.google.co.jp/maps?q=35.413318,138.591289


春の穏やかな気候の中、
DSさんと2cvくんにかこまれてのんびり過ごしましょう。
みなさま大勢のご参加をお待ちしております。よろしくお願い致します。

※ お食事はなるべく、まかいの牧場さんをご利用ください。

※ 追加事項ありましたら随時案内させていただきます。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
東名高速富士I.C→西富士道路→富士宮バイパス→約30分
中央高速河口湖I.C→R139→約40分
中央高速甲府南I.C→精進湖道路→R139→約50分
http://colibri2cv.blog106.fc2.com/

(転載終了)

さてコンコルドについてです。前回、掲載したコメットさんとカラヴェルさんの時代、世界の空はロッキード・コンステレーションとダグラスDC-6、DC-7で占められていたことは解説しました。ロッキード社やダグラス社のライバルであるボーイング社は、これらライバルを一挙に出し抜く秘密兵器を開発していました。これが367-80です。B-29に続きB-47の大量受注を受けたボーイング社は、その潤沢な資金(1,600万ドル)を投入してB-52と同じ1952年に開発に着手。1954年7月15日に初飛行しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0367-80

この367-80(通称ダッシュ80)の胴体を太くするなど改良を加えたのが有名な707です。当時、世界最大の航空会社であったパン・アメリカン航空をはじめとする著名な航空会社に大量採用され、コメットで懲りたBOACも採用しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0707
http://www.youtube.com/watch?v=c_Z8U_IlmIE&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=46T4i0-vAmI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=QwdKhcPgm9U&feature=related

これに危機感を覚えたライバルのダグラス社は、707に追いつくべくDC-8を開発しました。試作機を省略して、いきなり量産型を製作したほどで、ダグラス社の危機感が伝わってきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/DC-8
http://www.youtube.com/watch?v=U_oC-ijfQkA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=pgPHl2MiZms&feature=related

この頃、アメリカの航空業界では他社に敗れたメーカーが買収されたり航空機から撤退するなど業界再編成の動きが加速しました。戦時中のB-24や戦後のB-36を生産したコンソリデーテッド社改めコンベア社はCV880で対抗しましたが、遅れを取り戻すため試作機を省いたことが裏目に出てトラブルが続出。次作のCV990も売れず、同社は旅客機から撤退しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%99%E3%82%A2880
http://www.youtube.com/watch?v=Z1lGhZISDMQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=b4a37AEhwxk&feature=related

イギリスでは同国の航空機メーカーを集合させた国策会社BAC社を1960年に発足させ、コメットさんの後継機であるVC-10を開発。1962年7月に初飛行しました。BOACは買ってくれましたが、他国は買ってもらえず55機の生産に留まりました。企業である航空会社は、自社パイロットの養成や中古機の転売を想定して発注メーカーを絞る傾向がありますから、そこから外れると一挙に市場からの撤退に繋がります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9_VC-10
http://www.youtube.com/watch?v=NlWjq_eyBcw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=AeGgrtztqo4&feature=related

このままではアメリカに敗退する。そう感じたイギリス航空業界は一挙に巻き返すべく、アメリカがまだ手掛けていない超音速旅客機を開発することにしました。しかし膨大な資金がかかることから、政府に働きかけることにしました。ブリストル社、ハンドレーページ社、ホーカー・シドレー社の計画の中で、有望と見られたブリストル案に1959年、35万ポンドの資金が供与されました。この後、ブリストル社は223と呼ばれる超音速機の開発を開始しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB_223

これと同時期の1960年、フランスのシュド社は生産中のカラヴェルさんと乗客数、航続距離は同程度で最高速をマッハ2としたシュペル・カラヴェルの開発を開始しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%AB

この両国の超音速機計画が統合されてコンコルドになるのですが、これを強力に推進したのが当時のドゴール政権です。軍人である彼は第一次世界大戦、第二次世界大戦とドイツと戦いましたが、戦後の高度成長時代に強いドルを背景に世界各国に進出するアメリカ系企業の活動が、欧州各国の民族系企業を圧迫していることに強い危機感を覚えました。1962年5月、フランス第四位の自動車メーカー、シムカがクライスラーの巧みな秘密工作で傘下に入ると、激怒したと言います。しかしフランスもアメリカと同じ資本主義経済ですから、他国の投資を拒否することはできません。ドゴール大統領は、フランス製品の優秀性でアメリカに勝とうと考えたのです。未来の自動車と呼ばれたシトロエンDSが念頭にあったことは明らかです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBDS

イギリスと手を組んだ理由として、同じ英語圏に属しながら後輩であるアメリカに航空機需要を次々と奪われていって悔しい思いをした彼らと目標は同じであり、ならば隣国で協力しやすい事情があったものと思われます。しかし古くは百年戦争を経験したり、植民地収奪戦争で感情的には乗り越えなくてはならないハードルがありました。度量衡単位もフランスが世界的に普及しているメートル・グラム制なのに対し、イギリスはポンド・ヤードでしたから、設計図も併記する必要がありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E6%B3%95
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%89%E6%B3%95

1962年11月、フランス、イギリス両国は超音速機の共同開発に調印しました。これがコンコルドです。この名称ひとつにしても、フランス語のConcordeに対し英語ではConcordであり、eのあるなしで対立したと言います。最終的にイギリス側が折れましたが、よほどドゴールおじいさんが怖かったようです。開発過程でイギリス側が国際収支の悪化に苦しみ、「もうこんな開発費のかかるプロジェクトをやめようよ。」と開発の中止を提案したところ、フランス側が「撤退など絶対許さん。国際司法裁判所に訴えるぞ。」と衝突したそうで、イギリスはフランスに終始、主導権を取られっぱなしでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89

フランス側が強い決意で開発を主導した理由に、アメリカのボーイング2707の存在がありました。アメリカのケネディ大統領が1963年6月5日に、コンコルドを超える旅客機開発計画に政府資金を投入する計画を承認していたからです。開発費の75%をアメリカ政府が負担することになっており、乗客数250名、最高速度マッハ2.7と発表されました。当時、買ってもらった百科辞典に書いてあったことを覚えています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B02707
http://www.youtube.com/watch?v=eDGk3qCq630&feature=related

アメリカには当時、マッハ3クラスの軍用機が登場しつつありました。この技術を応用すれば実現は可能だと、誰もが信じていました。

アメリカ空軍・NASAのX-15研究機です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/X-15_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www.youtube.com/watch?v=fWZ9fYxQfOg

マッハ3の戦闘機YF-12Aです。SR-71は、これの偵察機です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/YF-12_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www.youtube.com/watch?v=UbNSJGDSUw4&feature=related

マッハ3の爆撃機XB-70です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/XB-70_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www.youtube.com/watch?v=1ESXeswZjkc&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=seWJa6SG3LQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=JLxtrCpo9Co&feature=related

多くの困難を乗り越え、コンコルドは1969年3月2日、原型機が初飛行しました。youtube動画からも、感激の表情が伝わってきます。ドゴール大統領は1969年4月27日の国民投票で破れて退陣しますが、この初飛行の成功を待って行なったのではないかと思います。本人の真意は分かりませんので推測ですが、あれだけ入れ込んだコンコルドだけに、ありそうな話ではあります。
http://www.youtube.com/watch?v=nXVxLGs5yFk&feature=related

ライバルのボーイング2707は、コンコルドの上を狙って可変翼機構を想定したものの重量増が避けられず、デルタ翼に変更されました。しかしベトナム戦争における巨額の国家予算の投入に批判が高まり、超音速機の計画もアポロ計画も中止に追い込まれました。コンコルドは20機の生産に終わったものの、開発自体は成功しフランスの栄光を守りました。このコンコルドにはテーマ曲まであるのですが、フランスのイージーリスニングで有名なフランク・プウルセル楽団の「コンコルド」をお聴きください。これはロングバージョンの方です。
http://www.youtube.com/watch?v=YyKvUPQpRKE&feature=related

次回はシトロエンSMに関連して、マセラティとの提携について予定しています。
 

(無題)

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 2月14日(火)07時08分34秒
返信・引用
  すいませんみなさま留守してました。帰国してます
まずはご挨拶まで。
 

2cvとDSの春かぜミーティング 2012  のお知らせと、超音速機の話

 投稿者:玄人  投稿日:2012年 2月12日(日)12時12分5秒
返信・引用 編集済
  管理人様、DSオーナーのみな様
ご無沙汰しています。
今年もDSさんと2cvくんの同窓会を開催したいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

* 4月22日(日) 10時~16時ごろ

* 会場
富士山麓 朝霧高原 《まかいの牧場》さんの駐車場
(建物の反対側の駐車場です。道路東側)

* 参加費用
大人(中学生以上) 600円 小人(3歳以上) 400円
(牧場の入園券を購入していただきます。
無料開催できなくて残念ですがよろしくお願い致します。)
http://www.makaino.com/index.html
http://maps.google.co.jp/maps?q=35.336125,138.584782
〒418-0104 静岡県富士宮市内野1327
TEL 0544-54-0342


*今回はツーリングもしたいと思っています。ご希望の方は
《道の駅 朝霧高原》
9時20分集合
9時40分出発
約10kmの下り坂です。
http://maps.google.co.jp/maps?q=35.413318,138.591289


春の穏やかな気候の中、
DSさんと2cvくんにかこまれてのんびり過ごしましょう。
みなさま大勢のご参加をお待ちしております。よろしくお願い致します。

※ お食事はなるべく、まかいの牧場さんをご利用ください。

※ 追加事項ありましたら随時案内させていただきます。
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東名高速富士I.C→西富士道路→富士宮バイパス→約30分
中央高速河口湖I.C→R139→約40分
中央高速甲府南I.C→精進湖道路→R139→約50分
http://colibri2cv.blog106.fc2.com/

●コリさまからのお知らせを転載します。

さて今回は超音速機コンコルドより早く登場した同じフランスの超音速機ミラージュⅢとⅣについて投稿します。フランスは航空機のパイオニアとして常に世界のトップを歩んできました。しかし第二次世界大戦ではドイツに一方的に押されるばかりで、占領下では航空技術の研究そのものを禁じられたことから、戦後は米英ソの超大国と差が大きく開いてしまいました。遅れを取り戻すための懸命の努力が行なわれたのです。

戦後の旅客機はレシプロエンジンの時代が暫く続きましたが、より高速を求める軍用機の世界ではジェット機に転換していきました。アメリカではNACA(NASAの前身)と陸軍が超音速機の研究に戦時中から取り組み、1948年に陸軍から空軍が独立すると研究も引き継がれました。研究機ベルX-1は1947年、遂に音速を突破しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/X-1_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www.youtube.com/watch?v=HoMijlGRb04

話は戻りますが、第二次世界大戦がドイツで終結しようとしている時に、アメリカ軍は航空研究所の破壊された建物の中から大量の技術資料を発見しました。そこには戦後のジェット機の常識となった後退翼やデルタ翼、ジェットエンジンの資料などがありました。当時のドイツの航空技術が別次元の進化を遂げていたことになりますが、これらの資料はアメリカ軍により本国に持ち帰られました。この成果としてB-47爆撃機が完成したのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/B-47_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www.youtube.com/watch?v=U2Ahh0Yj6zI&feature=related

ドイツの優秀な技術者達はアメリカ行きを望んだそうですが、多くはソ連に連行されました。彼らはミグ戦闘機の開発に従事することとなります。アメリカに渡った幸運な技術者の中に「アポロ計画」の中心人物として知られるヴェルナー・フォン・ブラウン博士もいたのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3
http://www.youtube.com/watch?v=w9twrZDdvYw&feature=related

さてフランスですが、戦時中にBMW003ジェットエンジンを開発したヘルマン・エストリッヒ技師はフランスの招聘を受け入れ、戦後フランスで新設されたSNECMA社のためにアター101を設計。生産はフランス国内で行なわれることとなりました。このあたりの経緯はウィキペディアの解説に書いてあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/SNECMA_%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC

機体設計ですが、ダッソー社が戦後フランスの軍用機開発を担いました。1949年に初飛行したダッソー・ウーラガンです。同機はまだ後退翼は採用されておらず、エンジンも国産製品が実績がないため、ロールスロイス・ニーンを使用しました。うまく再現されたラジコン機もご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%83%B3_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www.youtube.com/watch?v=4HkemGfcbws

1951年に初飛行したダッソー・ミステールはアメリカのF86に倣って後退翼を採用し、エンジンも国産のSNECMAアターやイスパノスイザのジェットエンジンを採用しました。(同社はブガッティもろとも1968年にスネクマ社が合併しています。)これの発展型は欧州で初めて音速を突破しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www.youtube.com/watch?v=gxewm8bxcCs

しかしアメリカの後追いでは、他国を追い越すことはできません。一足飛びに他国の製品を飛び越えるためには、革新的な新技術の採用が欠かせません。これで誕生したのが、デルタ翼を採用したダッソー・ミラージュⅢです。今日のラファールに至るまで、フランスの戦闘機はデルタ翼(三角翼)のイメージがありますが、戦後フランスの軍用機の歩むべき方向を明確に打ち出した、歴史に残る名機です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5III_(%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%BC%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E5%BD%A2#.E3.83.87.E3.83.AB.E3.82.BF.E7.BF.BC

このミラージュⅢは1992年まで実に36年間も生産され、総生産機数は1,422機に達しました。最高速がマッハ2を超え、戦闘、偵察、攻撃、爆撃など、あらゆる用途に対応できる万能性が、国家予算の限られた中小国で人気を得たそうです。同機にとって幸運なことに、直後にドゴール政権が発足し、国内産業の保護育成と振興のために、フランス軍の兵器を国産で賄う方針が明確に打ち出されただけでなく、輸出に対しても積極的にフランス政府が取り組んだのです。前政権がアメリカからF-100戦闘爆撃機を輸入していたのと対照的な動きだったと言えるでしょう。(註 同機はフランス空軍において、1978年まで使用されました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/F-100_(%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F)
http://www.youtube.com/watch?v=UiMsNf5JvmA
http://www.youtube.com/watch?v=5S3oIPJ1cc4&feature=related

ダッソー社ではこれと同時にSNECMAアターを双発にし、機体を拡大したミラージュⅣ爆撃機の開発も進めていました。当時、ジェット爆撃機を所有、生産していたのは米英ソでしたが、この一角にフランスも参入すると言うものです。ドゴール大統領が就任後の1959年6月17日に初飛行に成功。早速3日後の6月20日に、ル・ブルジェ空港で大統領を含む観客の上空を飛行しました。翌年には世界速度記録を達成し、フランスが米英ソと並ぶ航空技術力を持つことが証明されたのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5IV_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

それではスイス空軍のミラージュⅢSの動画をご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=p1PYiDIIZ1U&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=KXtP7IXPtoE&feature=related

2003年の退役記念飛行の動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=omoGqvf46HM&feature=related

こちらはミラージュⅣです。
http://www.youtube.com/watch?v=_rmayiAVPK8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=vsTkWaUdWa4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RMPKZohfk-A&feature=related

次回はコンコルドについて取り上げます。ご期待ください。
 

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