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 投稿者:江幡苗字  投稿日:2018年 9月18日(火)20時22分0秒
  通報 編集済
   館長(館長が敬語なので館長で書き込みます)のおっしゃる通り、涸沼川(涸沼前川)です。

 瀬戸井街道から旧宍戸街道を進むこと約一キロ、川べりに飯島・佐藤・川原井・江幡ときちんと並んだ家のなわばりは偶然とは思えません。川原井家の家主にも言伝えがあって、やはり先祖は足利の負け侍だったということでした。飯島は江戸氏の家来として存在していたようですが佐藤・川原井は確認できません。

 江戸時代に分かれた江幡家には、歴史好きだった夫人がいてよくお話を聞かせていただいたのですが残念ながら亡くなられています。『江戸氏の子孫であり先祖は下江戸だったようだ。』と話しておられ、福島の三春に同族がいて挨拶をしてきたと言っていました。宍戸藩の五代藩主の侍従をつとめ長らく庄屋をした家なので昔話にも熱が入っていました。ただ残念なのは、佐竹に攻められた折、南にも行方衆もおりどういった形で居場所を移したのか、館長も知りたい部分が聞けませんでした。おそらく書物には残っていないと思われます。

 江戸氏は最初にいただいた領地(ほろう)は、鯉淵・赤尾関・河和田といろいろな書物に書かれています。金上から青柳・枝川方面から攻めたとされれば、引く場所はやはり鯉淵のかなと思います。

 突然私事ですが、見川の徳川さんの娘さん私の娘とは水戸城の本丸があった場所の高校の同窓生で、数年前偶然にも大手観光会社の水戸支店長と会食をしたとき歴史の話に盛り上がったところ『私は、結城寅寿の子孫です。直系ではないですが』(佐竹に攻められた折結城氏を頼ったと書物で読む)。


 館長がもし、県博に在籍していたのなら上記の古文書をみせていただくため話をしようと思っています。

 
 
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