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秋田出身のえばた様

 投稿者:みわちゃんのおじいちゃん2  投稿日:2011年11月17日(木)17時14分47秒
  私は大館市に行き大館市立中央図書館の斉藤貢一館長に会い大館市中心部の各家の名入りの地図をもらいました。部垂町に江幡チエと言う人の家があります。江幡は江(巾者)の間違えかもしれません。

大館市石田ローズガーデンの隣に江(巾者)孝一と言う家があり、斉藤貢一館長の話ではこの主人は高校の先生をやっており、江(巾者)家の事をよく知っていると言う事でしたが、もう亡くなったそうです。その娘さんも嫁に行ってしまったと言う事でした。私はこの家をたずねましたが、不在で会えませんでした。

桂城のそばに住んでいる事は相当重臣だと思います。
 
 

秋田出身のえばた様

 投稿者:みわちゃんのおじいちゃん2  投稿日:2011年11月17日(木)00時37分8秒
  「たんえん」のwikipediaの記事始めてみました。有名になったものです。
ありがとうございました。
「たんえん」は私の祖父にあたりますが、年がかなり開いていますので、会った事はありません。写真を見つけてくれと頼まれた事はあるのですが見つかりませんでした。

茨城での視察先は那珂市歴史民俗資料館に行きました。仲田館長にあいました。私は以前仲田館長にお会いしていたので、館主さんを紹介したのです。江戸家の事は詳しいです。
他に、下江戸の那珂さん宅を訪問しました。那珂さんは江戸長門守通済の4男の子孫で、私の家の400年前に別れた親戚です。斉藤本の江戸家系図をお持ちです。今、おばあさんが一人で暮らしています。
 

みわちゃんのおじいちゃん2様

 投稿者:秋田出身のえばたメール  投稿日:2011年11月16日(水)21時55分56秒
  色々ご教授頂き有難うございます。ご案内の中にありました晩香さんの息子さんの「たんえん」さんに関する記事をwikipediaで見つけましたので(ご存じかもしれませんが)お知らせします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B8%BE%E6%BE%B9%E5%9C%92

秋田の有名な文人の縁戚の方と、しかも姓を同じくする方と、こうしてネットで会話しているのは不思議な感じがしますし、このサイトを開設された館主さんのお蔭だと感謝いたします。
ついでながら、茨城での視察先はどの辺に行かれたのか、差し支えなければお教えください。
 

(無題)

 投稿者:東京の江戸  投稿日:2011年11月16日(水)01時26分52秒
  ほんとに江戸氏ってあったんですね・・・。日本史の先生に聞くまで解りませんでした。私は東京住みですが、田舎は宮城にあります、やはり東北のほうにおおいのでしょうかね?

 

江戸長門家の待遇

 投稿者:みわちゃんのおじいちゃん2  投稿日:2011年11月15日(火)19時49分26秒
  江戸長門家は佐竹西家でどの程度の待遇を受けたのか?秋田移転の際は、組頭を勤めたから係長クラスの待遇を受けたのではないかと思われる。父と兄が切腹(事実上の死刑)させられたにしてはまあまあな待遇なのかもしれない。延宝6年(1678)大舘城代家石高表があるが、100人位藩士の中で江戸味右衛門は45位28石である。最高は500石の人がおり、足軽は8合である。これから見ても係長級の待遇だったようだ。
幕末には江戸味右衛門通寛は、晩香と言う文名を持つ文人で、家老職となったからもっともらったのだろう。
大舘城代家の中に、江幡隼人という82石を取っている人がいる。この人は江戸家より味右衛門より早く佐竹西家に入ったと思われる。
 

江戸家の分家

 投稿者:みわちゃんのおじいちゃん2  投稿日:2011年11月14日(月)21時02分46秒
  江戸家は江戸姓の分家を作らなかったように思われる。江戸家は先祖代々の土地を持たないので、分家に分けてやる土地がなかったためだろう。江戸本家の次男三男は主な家臣に婿養子として入れたようである。
唯、唯一の例外が、8代忠通の弟通済による長門守家創立である。江戸本家は代々但馬守を相続した。長門守家は初代通済が、江戸長門守藤原通済と名乗り、2代は長男の通広が長門守を継いだ。江戸家発祥の地である江戸郷(現下江戸)の地を所有したようである。
長門守家は2代通広の時、秀吉の小田原北条攻めの時、北条側に内通したとして、佐竹家により、お家断絶、長男満五郎共切腹させられた。
長門守家の三男通勝は、赦されて、江戸長門通勝として、佐竹西家の家臣となり、秋田移転の際は、組頭を勤めた。
長門家はその後、江巾者と姓を変え味右衛門と名乗り、幕末には、通寛は佐竹西家家老となった。みわちゃんのおじいちゃんの本家である。
 

みわちゃんのおじいちゃん2様へ

 投稿者:秋田出身のえばたメール  投稿日:2011年11月13日(日)16時23分49秒
  丁寧なご返答頂き有難うございます。
このサイトの館主さんとみわちゃんのおじいちゃん2さんのやり取りは全て拝見しております。参考サイトも興味をもって覘いていました(部垂町も)。お二人が直接お会いして現地調査をされたとのこと、羨ましいかぎりです。同じ祖先を持つ(であろう)現代の子孫が、最新のテクノロジーであるインターネットを介して知り合い、共通の課題(自己のルーツ)を研究しあうというのは一時代前には考えられないことだったように思います。
私自身のことですが、秋田を離れてから40数年たち、帰省するのも数年に1度になってしまいました。秋田市には兄弟が、大館市には本家がありますが家系図の存在を確認したことはありません。
みわちゃんのおじいちゃん2さんのアドバイスを励みに、来春には部垂町の本家や大館資料館や秋田資料館などを訪ね歩きたいと思います。人生にもう一つの目標ができました。本当に有難うございました。資料が整いましたら又掲載させて頂きます。

それにしても、このような真面目なサイトにも迷惑メール発信者が出没するんですね、驚きました。
 

秋田出身のえばた様

 投稿者:みわちゃんのおじいちゃん2  投稿日:2011年11月13日(日)08時16分53秒
  みわちゃんのおじいちゃんです。以前この掲示板に投稿していたのですが、迷惑メールが殺到してしまい、以前のメルアドは放棄しました。みわちゃんのおじいちゃん2として再登場しようと思います。
館主さんとはお会いし、一緒に常陸江戸家発祥の地をドライブしたことがあります。
秋田出身のえばた様は系図をお持ちですか?
私の本家には系図があり、水戸城主だった常陸江戸家の分家らしいが、その繋がりがぼかしてありました。私が調べた結果、常陸江戸家の最後の当主重通(9代)の祖父で8代忠通の弟通済の直系の子孫であることが分かりました。
秋田出身のえばた様は常陸江戸家から分家して、佐竹西家の家臣になったのだと思いますが、江戸隠岐守の子孫ではありませんか?
それとも、江戸隼人の子孫ですか?
私の家は、大舘に住み、代代味衛門を継承し、曾祖父晩香、祖父タン園、本家の伯父小園は、大舘では文学者として知られていたようです。伯父の代に秋田に移り、秋田魁新聞に勤めていたそうで、秋田市の文学館には展示があるそうです。
私も大舘に調査に行き、資料館の館長さんにお会いし説明を受けました。
大館市部垂町の部垂(へたれ)は茨城県の地名だと言う事を御存じですか?

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/6650/oomiya.htm
 

(無題)

 投稿者:秋田出身のえばたメール  投稿日:2011年10月14日(金)22時39分43秒
  家系について調べようと思って検索してここに辿りつきました。
本家は大館市部垂町という所にあり、ハタは巾者と書きます。家紋は丸に一文字です。父からは佐竹西家の重臣だったと聞かされています。みわちゃんのおじいちゃんとは姓は同じですが家紋は違うようですが同じ先祖なのでしょうか?
この掲示板で自分の命の継承を教えられて勉強になりました。我が子にも伝承していきたいと思います。
 

(無題)

 投稿者:青森の江戸  投稿日:2011年 9月11日(日)00時20分31秒
  お礼の返信が遅くなり、大変失礼しました。

具体的なアドバイスをいただけてうれしいです。ありがとうございました。
青森には斎藤という名字がとても多いのですが、江戸とも繋がりあったとは驚きでした。
図書館など通ってみようと思います。
ありがとうございました!!
 

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